大室小だより

2018年2月の記事一覧

「除雪に見る大室愛」

「除雪に見る大室愛」

                       学校長  藤本明英

1月22日(月)昼過ぎから降り出した雪は次第に激しさを増し日付の変わる頃には、20cmに達し、明け方には30cmを越える大雪となりました。学区内を見回りしましたが、通学路の確保ができず安全な登校ができないことから午前6時に休校とすることを決定しました。その日は、教職員総出で通学路の除雪をし、児童の安全な登校ができる体制を整えました。疲れがピークに達した頃です。一台のブルドーザーが学校から荊沢に向かう歩道を除雪し始めたのです。その方は「明きちゃん知ってるからやってやるよ。」と職員に話したそうです。『私のことを明きちゃんと呼ぶのはあまりいないはずだが・・。』50m先まで進んだブルドーザーを追いかけあいさつをすると薄井沢の鷹箸輝夫さんでした。輝ちゃんとは、かつてガッツ大沢という軟式野球チームで一緒にプレーしました。当時は、旧今市市軟式野球連盟登録が140チームを越えるほどの全盛期でAクラスからDクラスまでありました。初めてナイターの施設ができたこともあり、それぞれの地域や会社関係、飲食店を名乗ったチームなども数多くありました。私は、市長杯Aクラス決勝戦の延長でセンター前にさよならヒットを打ったことを思い出しました。相手チームは塩野室のシェブロンだったと思います。『豊岡カージナルスも強敵だったなー。』輝ちゃんは、稲刈りが忙しくて遅刻し、チームが不戦敗になったこともありました。輝ちゃん除雪ありがとう。

 しばらくするともう一台のブルドーザーが体育館駐車場と校舎東側を除雪してくれました。ブルドーザーの脇には「kozuka farm」の文字が見えました。学校農園でお世話になっている狐塚誠司さんでした。「大室小に行ってやれ。」と大室自治会長の齋藤薫さんから応援要請があったそうです。狐塚さんは、その日の明け方まで鬼怒川で旅館を経営する妹さんの駐車場の除雪をしてから駆けつけてくれたのでした。正に夜勤明けの疲れた体での作業が大室小の除雪だったわけです。私は、疲れも見せずにひたすら雪を寄せては運びそして捨てる作業を繰り返す誠司さんの姿を見ながら、誠司さんが小学生の時に亡くなった父親の都光さんのことを思い出していました。

 大沢地区体育祭の花形種目と言えば、なんと言っても「大沢中~下野大沢駅往復のマラソン」でした。支部の名誉をかけて走る競技に観客は大声援を送ったのでした。私は、毎年優勝する狐塚都光さんに憧れていましたが大会関係者や他の支部の方々からは、「狐塚は出場させない方がいい。」という陰口まで聞こえてきたくらいでした。(都光さんは、青森東京駅伝に出場しています。)いつか自分も走ってみたい。そのチャンスが中学3年生の時にオープン参加という形で巡ってきました。昭和47年のことです。号砲と同時に一斉に走り出しましたが、ズボンを脱ぎ忘れた私の後ろに選手は誰もいませんでした。下野大沢駅を折り返し田川の橋を渡る頃にはなんと先頭を走っていたのです。弁天川を過ぎると大沢中が見えてきました。明きちゃんが一番で帰ってきた。校庭を一周する時の大沢第2支部の声援は大変なものでした。明きちゃんは、オープン参加ながら優勝を手にしたのでした。その後、大沢地区の代表として駅伝チームに入り、都光さんから走り方を教えていただいたことを思い出します。『今私は、都光さんのせがれさんにお世話になっている。』何という巡り合わせだろう。縁を感じてならない。誠司さん除雪ありがとう。

    写真左        写真右

  薄井沢の鷹箸輝夫さん 大室の狐?誠司さん