6年生 史跡めぐり その3
殉死の墓です。殉死という聞き慣れない言葉とその意味を教えてもらいました。
今では考えられないことですが、武士の世の中では当たり前のことだったのですね。
これ以降、殉死は禁止され、「最後の殉死」になったということも教わりましたね。
田母沢御用邸の前で集合写真を撮りました。
御用邸の敷地内でトイレ休憩。たくさん歩いて、たくさん学んで疲れましたね・・・
いや、まだまだ元気いっぱいのようです。
御用邸の正門を出たところで、日光が大好きだった大正天皇の話を聞きました。
実は、日光には御用邸が3つあったということも知りましたね。
この後、天皇を乗せた馬車が通ったまっすぐな道を通り、最後の目的地へと向かいました。
落合源七・巴快寛の顕彰碑です。
世界遺産日光の社寺が今の姿であるのは、この二人のおかげだということ。今日の史跡めぐりで6年生に一番知ってほしかったのは、この二人のことだと星野さんは話してくれました。
明治時代になって天皇中心の考えから、これまで一緒だった神社とお寺をはっきりと分けるようになりました。輪王寺は建物を移さなければならず困っていました。今までの二社一寺、日光の姿が変わってしまう大変なことでした。
そこで落合源七さんと巴快寛さんは、今まで通りの日光を守ろうと何度も東京までお願いに行きました。最後は明治天皇に直接お願いし、二社一寺はそのままでよいことを認められ、輪王寺の建物を直すための3000円をいただき、昔からの姿の二社一寺、日光を守ることができました。
日光を守った二人のことを、日光の子供達には知っておいてほしいという星野さんの熱い思いが伝わってきました。6年生もその思いを受け止め、真剣に話を聞いていました。
長い道のりでしたが全員元気に学校まで戻ってきました。
日光の史跡を目で見て、耳で聞き、肌で感じることができ、たくさん学ぶことができました。日光ふるさとボランティアの星野さん、遠藤さん、本当にありがとうございました。
この学びを、日光の伝統を守り、日光の未来を描く、総合的な学習の時間に生かしたいと思います。