校長室だより

校長室だより

「答えがない問題 答えが出にくい問題」

 3月の集会では、哲学について話しました。図書室に、「10歳の君に贈る、心を強くする26の言葉 ~哲学者から学ぶ生きるヒント~」(えほんの社)があって、手に取ってみたからです。冒頭に、
「古代から数々の哲学者は、世界や人間について考えてきた。いまだ答えが出ないもの、心理を追究したもの、人の心を救うもの…。しかし世界はとても広く、まだまだ多くの謎に包まれている。(中略)哲学を通して、君は今まで意識したことがなかった世界を見るだろう。(後略)」
 図書館で調べると、たくさんの子ども向け哲学書があることがわかりました。そこには、素朴な疑問への考えが示されています。例えばこのような疑問です。
「勉強ができないけど、どうしたらいいの。」
これには、ソクラテスの「無知の知」が紹介されていました。みんな自分が知っていると思い込んでいるだけで、実は何もわかっていない人が多い。思い込んでいると先に進めないので、何も知らないと知っている人は前に進める。できないとわかっているから、努力できると紹介しています。改めてこうした言葉にふれると、新たな考えがわいてくるようです。いろいろなことを知って考えることを、心の小部屋を増やすと表現してありました。心の小部屋を増やすと心が強くなる。そう信じたいです。
 今はコロナ禍で、これまでにない学校生活を過ごしています。
「よりよい生き方って何だろう。」「本当の幸福は何だろう」
この時間だからこそ、考える価値があると思います。考えることによって、よりよく生きるヒントがつかめることを願っています。

「諸行無常から日々是好日へ」

 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」
これは平家物語の冒頭文です。祇園精舎の鐘の音は、この世のすべては絶えず変化していくものだという響きが含まれています。
 令和2年度は、本当に変化の多い1年間でした。4月には、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、3日間登校した後、約2か月間の臨時休業となりました。学校には子どもたちの姿はなく、教職員も交替で在宅勤務をしました。その後、分散登校という一斉に登校しない登校日を経て、6月1日に学校は再開されました。登校時には体温を測り、常時マスクを着用する。いつもまわりと距離を保つソーシャルディスタンス。再開直後は、とまどっていた子どもたちも次第に慣れていきました。校外学習など、当たり前の教育活動が制限されて、徐々に落ち着きを取り戻したのは、2学期が始まった8月下旬でした。修学旅行、宿泊学習を工夫して実施したり、校庭で歌を歌ったり、1人分ずつ調理実習をしたりして、学校の日常を取り戻す日々となりました。しかし、様々な状況が変化し、その対応に追われる日々でもありました。その影響で、ふるさと大運動会や小来川文化祭は実施できませんでした。大きな行事のなかった学校の時間は、諸行無常の響きにつながるような気がしていました。
 諸行無常の響きの中で出会った言葉が、「日日是好日(にちにちこれこうにち)」です。「日々是好日」は雲門禅師の悟りの境地を表した言葉です。今日はよい日だ悪い日だというこだわりやとらわれをさっぱりと捨てて、その日1日をただありのままに生きる、清々しい境地です。この一瞬を精一杯に生きると言うことです。その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までにない、素晴らしい一日となるはずです。「〇〇はできない」から「〇〇はこうしたらできる」と、気持ちが前向きになってきました。この1年間は、その日その日、1時間1時間を大切に過ごした1年間にもなりました。
 このようなコロナ禍の中で教育活動に集中できるのも、教育振興会長様をはじめとする振興会の会員の方々、小来川の地域の方々の支援によるものが大きいと感じています。多くの支援により、子どもたちは充実した教育活動を行うことができました。また、スクールガード・図書ボランティア・お掃除し隊などのボランティアの方々も、様々な配慮をしながら活動をしていただきました。そして、学校を理解し支援してくださる保護者の方々の協力を得て、学校は今年度1年間、無事に過ごすことができました。ありがとうございました。
 まだまだコロナ禍の影響は続くと思われます。臨時休業中に、校長室の文書を整理する機会がありました。小来川学報についても、「村と学校」の創刊号から目を通すことができました。その発刊の辞が目にとまりました。
「人間の住む世界の歴史を振り返って見ると幾度か大きな変わり方をしている。(中略)我々は学問と生産と生活を一体とする建設的教育に立ち上がらねばならない。性急に立ち上がる前に暫く我々の足下を見ようではないか。」
 現在の私達もしっかりと足下を見る機会をいただいているのかもしれません。これからしっかりと立ち上がるために、今後の行くべき先をしっかりと見極める時間をいただいているのでしょう。この一瞬を精一杯生きることで、前に進んでいける気がしています。

「始まりと終わりを意識する」

 令和2年はコロナで始まりコロナで終わった1年でした。令和2年を振り返ると、職務上、行事や集会などで児童生徒に話す機会があります。新型コロナウイルス感染症についても話しましたが、令和2年に話したことで一番心に残った言葉は、「始まりと終わりを意識する」でした。「大人になってこまらない自分コントロール」という本を紹介した時です。自分の分身となる脳をうまく使うと、自分自身がコントロールできる内容でした。
 自分をコントロールする方法の1つとして、しぐさを意識するとうまくいくことが紹介されていました。「~したら、~する。」「水道で水を出したら、最後まで止める。」「ドアを開けたら、最後まで閉める。」「くつをぬいだら、くつをそろえる。」始まりと終わりを意識すると言うことです。意識してみると、様々なことが見えてきました。例えば、1日の始まりと終わり。朝は様々なことをしています。朝食を食べたり着替えたり顔を洗ったり。1つでも忘れてしまうと、1日がぼんやりしてしまうようです。終わりは1日のことを振り返り、反省したり自分で自分をほめたりしていました。
 始めるときは、意識しているような気がしますが、終わりを意識することは少なかったように感じました。始めるときに、終わりを意識して始めるとうまくいくような気がしてきました。12月には、管理栄養士さんに健康管理について指導いただく機会がありました。約半年間で、体重を減らしてより健康な体になることを一緒に計画しました。終わりを決めているので、がんばれるような気がしています。コロナ禍も終わりが意識できると、がんばれる気がしています。

「見える化」

 今年度は新型コロナウイルス感染症の影響で、学校は大きく変わりました。臨時休業中は、教育活動について考える日々でした。そこで思い立ったことは、意識することの見える化です。よくダイエットなどをするとき、目標体重を紙に書いて貼っておくように、意識したいことを、紙に書いて貼ってみました。
 現在、職員室には人権集会で話した「自尊感情」が掲示してあります。校長室には、書道教室で指導いただき、自分で書いた書道が掲示してあります。
「普通の人は、普通に生きているのが1番幸せです。しかし、普通に生きていくのが、1番難しい。」
 コロナ禍の今、普通に過ごすありがたさを感じています。制限はあるけれども、精一杯生きたいと思っています。

「ほこらしいという気持ち」

 「グローバル化」という言葉が、教育現場で使われるようになって久しくなります。情報通信技術や交通手段の発達により、人・もの・情報の動きが活発になり、私達の意識はは大きく外に向いていました。そのような中、令和2年度は、コロナウイルス感染症拡大防止のため、外への意識が一気に止まったように感じました。4・5月は、臨時休業、自粛生活や在宅勤務などで、私達の意識は外から内に向いてしまったようです。
 12月の集会では、「ほこらしい」という気持ちについて話しました。人権週間にあわせて、たくさんの気持ちの中から「ほこらしい」という気持ちを取り上げてみたのです。本校の人権教育の実践課題の中で、「自尊感情を育む教育活動の工夫」があります。自尊感情とは、自分自身をかけがえのない存在として認め、欠点も含めて自分自身を好きになる感情のことです。自分らしく生きようとする自分を受け入れることにより、まわりの人を、自分と同じようにかけがえのない存在として認めることにつながります。
 「ほこらしい」気持ちがもてれば、失敗してもまたがんばろうとしたり、人を信じて、人に助けを求めたりすることができます。自分のだめな部分を見せることもできます。まわりの人に対する思いやりも深くなります。内への意識は、マイナスだけでなく、こうした気持ちにつなげることも考えられます。
 日本の若者は、「自分自身に満足しているか。」という質問に対して、肯定的な回答が少ないと言われています。それは、年齢が上がるにつれてもっと低くなるそうです。コロナ禍の今、しっかりと自分と向きあって、「ほこらしい」自分をもってほしいと願っています。

命を考える

 11月の初めに読書週間がありました。その中で、読み聞かせをする時間を設定していただき、小学生に何冊かの本を読みました。テーマは「命」です。その中で、「電池が切れるまで」という本から「命」という詩を紹介しました。「命」は、長い闘病生活の末に短い生涯を終えた11歳の女の子が、亡くなる四か月前に書いた詩です。その一部を紹介します。
「命はとても大切だ
 人間が生きていくための電池みたいだ
 でも電池はいつか切れる
 命もいつかはなくなる
 電池はすぐにとりかえられるけど
 命はそう簡単にはとりかえられない」
生きたいという気持ちがまっすぐに伝わる詩でした。長野県立こども病院の院内学級で学ぶ子どもたちの詩と絵は、私達の心にまっすぐに響いてきたように感じました。
 現在は、コロナ禍という思うように生活できないもどかしさを感じています。様々な場面で、今までの当たり前が失われています。学校生活も同様です。こんな時だからこそ、日常の生活を無事に過ごすことができていることが、本当にありがたいことであると、改めて確認することができました。
 学校では、予定していた行事も、中止や変更になったものもあります。でも、修学旅行などの校外学習の一部が再開されました。学校でも日常のありがたさをしみじみと感じています。

ゾーンに入る・フロー体験

 今年は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、伝統ある小来川ふるさと大運動会はできなくなりました。学校だけの運動会となりました。児童生徒は運動会に向けて、精一杯練習に励んできました。練習や本番で、スポーツ選手が使っている「ゾーンに入る」や「フロー体験」について経験しました。「ゾーンに入る」や「フロー体験」とは、自分のもっているエネルギーが1つの目標に向けて集中して、行動できている状態のことです。運動会は、それが経験できる機会です。
 まず、やればできる課題に取り組みます。運動会では、走る、踊る、投げるなどがその課題です。そして、「今やっている行動」に集中します。簡単そうに思えますが、日頃私達は、いろんなことを気にしながら過ごしています。授業中、学習しながら給食は何か考えたり、家に帰ってからやるゲームのことを考えたりします。今やっていること以外のあまりで目の前の学習や運動に集中するのです。しかし、運動会は目の前の種目以外に気を配りません。そんな圧倒的な集中状態なのです。どうすれば勝てるのか、そのために何をしなければならないのか。そのような明確な目標が運動会にはあるのです。
 もう1つよいことがあります。「ゾーンに入る」や「フロー体験」は、不快なこと、気になることを忘れることができるのです。今のコロナ禍の無意味なストレスを消し去った状態でもあるのです。失敗の不安に負けず、ただ自らの成功を信じて、自分の行動を高レベルでコントロールしている感覚です。それにより普段ならできないような行動をすることができるのです。今やっている行動と自分自身が一体化する感覚です。
 運動会当日は、児童生徒、保護者の皆様とともに、こんなことができたという楽しい思い出になる運動会、大変な1年だったけど運動会はよかったなと思える運動会、気持ちよい時間が過ごせたなと思える運動会になりました。来年度はまた、地域の方々と伝統ある小来川ふるさと大運動会を実施したいと切に願っています。

ライフキャリア・レインボー

 私達は、まわりの人達や社会とのかかわりの中で、仕事、家庭、地域社会の一員など、様々な役割を担いながら生きています。これらの役割は、人生という時間的な流れの中で変化しつつ積み重なり、つながっていくものであると言われています。
 今年度から、自分の成長の足跡を振り返りながら現在の自分自身を見つめ、自分の将来や働きたい仕事、生き方を考えることができるようにするキャリア・パスポートを作成していきます。キャリア教育にかかわる授業の振り返りカードなどを1つにまとめて保管して、時間の経過とともに自身の変容や成長を自己評価できるようにしていくものです。このパスポートは小中学校の9年間持ち上がり、さらには高等学校に送るようにするしくみとなっています。
 私達は子どもでも大人でも1つの役割だけをしているのではなく、いくつかの役割を年齢や立場によってあわせて演じています。それを米国の教育学者のドナルド・E・スーパーがアーチ状の虹のように表現したことから、ライフキャリア・レインボーと名前がついています。人生全般にわたり、社会や家庭で子ども、学生や職業人など、様々な役割の経験を積み重ねて初めて自身のキャリアがつくられると考えられています。
 子どもたちは、まだまだ虹の急な上り坂にいます。本校の特色である小中一貫や体験活動に取り組んで、子どもたちの社会的・職業的自立に向けた基盤となる力が育つこと、地元への理解・愛着・誇りを育む教育を推進していくこと、これらを進めることによって、光り輝く虹が見えてくると思っています。

持続可能な開発目標

 7月1日(水)児童・生徒会総会が開かれました。臨時休業により2か月遅れの開催となりました。生徒会代表のあいさつ、児童会・生徒会の活動方針、部活動紹介等がありました。地域教育協議会の委員の方々にも、児童・生徒会総会の様子を見ていただきました。
 児童・生徒会総会では、持続可能な開発目標(SDGs)について話しました。世界を変えるための17の目標「SDGs(エス・ディー・ジーズ)」。途上国も先進国も含めた世界中の一人ひとりに関わる取り組みです。「SDGsの達成に向けて、自分たちはどんなことができるのか。」となると、とてもとても大きな目標になってしまいますが、子どもたちの生活とこれらの課題が関連があり、学校や地域などの身近な課題解決の先に、SDGsの達成があると考えたからです。このような活動をとおして、子どもたちに社会の一員として主体的に参画しようとする力や、自分たちの生活をよりよくするために行動しようとする力を育てることにもつながると考えています。
 現在、新型コロナウイルスの影響から、学校生活も様々な制約を受けています。この状況の中で、社会や世界の現状を、自分との関わりから「自分のこと」としてとらえることが大切だと思っています。現状を踏まえて問題意識をもちまわりの人達と共有し、その解決に向けての手立てに取り組んでいくことが求められています。
 児童・生徒会総会にあたり、地球でずっと暮らしていけるように、知恵を寄せ合ってできた「持続可能な開発目標」を意識してほしい。一人ひとりにできることや小さい行動から考えていってほしい。自分たちにできることから始めてほしい。なぜなら、目標の期限の10年後の世界を動かしているのは子どもたちだからです。

「当たり前の生活様式」から「新しい生活様式」

 令和2年6月1日。新型コロナウィルス対応のための臨時休業が終わり、学校が再開しました。3か月前までは、毎日の学校生活はずっと続くものだと思っていました。日課どおりに進む時間。学校暦に予定された行事の実施。ずっとこのように日々を過ごしていました。「当たり前」の日常があったのです。社会状況の変化によって、「当たり前」ができなくなって、「当たり前」なことはどこにもないことに気づきました。「当たり前」の日常の時間が続くことが特別なことだったのかもしれません。
 学校が再開して、子どもたちが学校で生活することの意義を、改めて実感することができました。同時に、「当たり前」の学校生活も、臨時休業中の生活も、子どもたちにとって、等しくかけがえのない1日だったことも感じています。これからは、「当たり前」の毎日が価値あるものとして、教育活動を進めていきたいと考えています。
 これからしばらくは、新型コロナウイルス感染症と共に生きていく社会が前提となります。長丁場に備え、手洗いや咳エチケット、換気といった基本的な感染症対策に加え、感染拡大リスクが高い「3つの密」を徹底的に避けるために、身体的距離の確保といった「新しい生活様式」に、学校を含めた社会全体が移行することが求められています。学校においても、「マスクの着用」及び「手洗いなどの手指衛生」など基本的な感染対策を継続する「新しい生活様式」を導入し、感染及びその拡大のリスクを可能な限り低減しつつ、教育活動を継続し、子どもの健やかな学びを保障していくことを目指していきます。今後とも御協力よろしくお願いします。