ふるさと足尾の歴史

2020年5月の記事一覧

山の神と孝行猿

 本校の玄関を入ると、様々な物が展示されていますが、その中でも、本校の元職員が製作した「銅山の守り神 山ノ神」と「孝行猿」が目に飛び込んできます。この置物も足尾小学校の安全を見守っています。

 
      山ノ神              孝行猿

足尾の地名の由来

 「足尾」の地名のはじまり 
 地名の由来として「ねずみの話」があります。むかし、「勝道上人(しょうどうしょうにん)」という僧侶が日光のお寺にいたとき、ある日1匹のねずみが粟(あわ)やひえの穂をくわえて、どこからともなくあらわれたり姿を消したりしたので、上人はこの山奥に、粟やひえの穂があるはずがないと不思議に思って、このねずみの足にひも【緒】(お)を結んで目印にして、そのあとをつけてみると、山のふもとの方に人家がありました。そこで上人はここを「足緒」と名付けたのが、のちに「足尾」となりました。上人はそのあたりは僧が修行をつむのに適している土地だと考えました。その後、上人の弟子たちがこの土地へ来て、修行をつんだり寺をたてたりしたのが足尾のおこりだと言われています。
 一方、学問的には、地形的なことから山の高いところや山のふもとの延びたところを「尾」ということや山の峰(みね)つづきを尾根とよんだりすることから、この地名がつけられたのであろうとみられています。
 足尾の近くに細尾(ほそお)や粕尾(かすお)としいう地名があるのも興味深いことです。また勝道上人とゆかりのあるねずみが入ったという「ほこら」が大黒橋のたもとにあり、現在は「波之利大黒天(はしりだんこくてん)」としてまつられています。                   (2006年発行 「足尾」より)  

足尾小学校の歴史②

 足尾小学校の図書室の後方に写真が展示されています。「足尾小に生きている学校」というタイトルが付いています。足尾小学校の写真のほかに、本山小学校・原小学校・神子内小学校・横根山分校・小滝小学校の写真があります。これらの学校は閉校などになったため、旧足尾町にある小学校は、足尾小学校だけになりました。
 

足尾小学校の歴史①

 現在の足尾小学校は児童数が少ないですが、昔の写真を見ると多くの児童が学んでいたことがわかりました。歴史と伝統のある足尾小学校について、これから調べて紹介していきます。

「足尾町 閉町記念 足尾博物誌」より抜粋
 学制発布の翌年の明治6年(1873)年8月、本妙寺を借用して足尾で初めての学校「足尾学舎」を開いたのが始まりで、創立当時の児童数は84名でした。その後、銅山の発展とともに児童数はうなぎのぼりに増え、大正末期から昭和30年代までの最盛期には1500~2000名を数えるマンモス校となりました。
 
  マンモス校だった頃の足尾小学校