ふるさと足尾の歴史

2020年6月の記事一覧

足尾銅山④

 近代化に貢献した足尾銅山(「とちぎふるさと学習」資料集  栃木県教育委員会より)
 1610(慶長15)年、足尾村の2人の農民によって足尾銅山が発見され、江戸幕府の直営の銅山となりました。17世紀後半には、毎年1,000t以上の銅が生産され、幕府の財政を支えました。江戸城や日光東照宮の瓦を製造したり、オランダや中国へ輸出をしたりしました。1877(明治10)年、古川市兵衛により、最新の技術や設備により鉱山施設の近代化が進められました。明治20年代には国内で産出される銅の40%以上を産出する日本一の銅山となりました。
 大正時代には、岩を砕くための足尾式さく岩機が考え出され、手で掘ることから機械で掘ることへと変わり、作業が早くできるようになりました。

足尾環境学習センター

 先週の18日に、5・6年生が銅親水公園内にある「環境学習センター」に行ってきました。本来なら、今頃、東京や神奈川方面の小学生が修学旅行として、環境学習センターや銅山観光へ見学にやってきます。学校から見える高い場所にある道路を観光バスが数多く通るのを見ることができるそうですが、今年はまだ一台も見かけません。
 環境学習センターは、平成12年に完成しました。足尾銅山の歴史を紹介するとともに、環境破壊と自然の大切さを学べる施設です。緑を失った足尾の山々や旧松木村などの歴史を写真や資料などで展示しています。
 子供たちは地元に住んでいるので、地図を見て自分の家を探したり、知っている施設との位置関係を調べたりしていました。映像や説明を見て、今まで断片的だった知識が少しずつつながり、知らなかった歴史的事実を知ることができたと思います。
 

とちぎの百様(ひゃくさま)

 県民の郷土愛の醸成(じょうせい)と本県のブランド力の向上を図るため、後世に残したい、大切にしたい、じまんできる本県の100の地域資源(ちいきしげん)を「とちぎの百様」として選定(せんてい)したそうです。その地図が学校にも届いています。
 百のうち足尾町にあるのは、29「足尾銅山」と93「わたらせ渓谷鐵道」の2つです。「足尾銅山」の感動ポイントには、「日本の近代化を支えた殖産興業(しょくさんこうぎょう)のシンボル」と書かれています。「わたらせ渓谷鐵道」の感動ポイントには、「トロッコ列車で渓谷(けいこく)のけしきを楽しむ」と書かれています。
  どちらも足尾にとって大切なものです。ほかにも足尾には、伝統があり誇れるものがたくさんあります。これから、このページで紹介していきます。
 

玄関にある宝物

 足尾小の玄関には、貴重な動物のはく製や昔の道具や写真が展示されています。その中に、閉校した学校で使われていた道具もあります。下の写真の右から「神子内小」「本山小」「原小学校」と書かれています。昔の学校で使われていた、大切な宝物です。