ふるさと足尾の歴史

足尾銅山④

 近代化に貢献した足尾銅山(「とちぎふるさと学習」資料集  栃木県教育委員会より)
 1610(慶長15)年、足尾村の2人の農民によって足尾銅山が発見され、江戸幕府の直営の銅山となりました。17世紀後半には、毎年1,000t以上の銅が生産され、幕府の財政を支えました。江戸城や日光東照宮の瓦を製造したり、オランダや中国へ輸出をしたりしました。1877(明治10)年、古川市兵衛により、最新の技術や設備により鉱山施設の近代化が進められました。明治20年代には国内で産出される銅の40%以上を産出する日本一の銅山となりました。
 大正時代には、岩を砕くための足尾式さく岩機が考え出され、手で掘ることから機械で掘ることへと変わり、作業が早くできるようになりました。