ふるさと足尾の歴史

ふるさと足尾の歴史

二宮尊徳と足尾

 先月、4年生が二宮尊徳記念館に見学に行ってきました。社会科で郷土の発展に尽くした「二宮尊徳」について学習しています。記念館発行の絵葉書には、足尾の「遠下」「原」「松木」「高原木」「神子内」の美しい風景があります。その絵葉書をぜひ他の学年にも見てもらいたくて、ホールに「足尾地域を知ろう」というコーナーを作って掲示しました。二宮尊徳が日光神領を「廻村(かいそん)」したときに、足尾にもやってきました。2回目の廻村は、鹿沼の古峰原から足尾を通り、清滝方面へというルートでした。記念館の資料を見ると、当時の足尾の14の村(赤沢・新梨子・遠下・原・唐風呂・中居・掛水・間藤・赤倉・久蔵・松木・仁田元・高原木・神子内)を廻ったそうです。

 

 

太鼓活動の法被

 運動会や音楽祭などに出演するときに着る法被があります。きれいなオレンジ色で、「波之利大黒天」(はしりだいこくてん)様と「足字銭」(寛永通宝)がイラストや文字で描かれています。今年の運動会でも、この法被を着て太鼓をたたきます。今年は、足尾芸術祭や音楽祭がなくなり、披露する機会が少ないのが残念です。
 

ガソリンカー

   昔、足尾銅山周辺を走っていた「ガソリンカー」が「古河足尾歴史館」にあります。今度、生活科見学で見学することになったので、先日下見をしてきました。
 「ガソリンカー」は、鉱山と労働者の住宅地を結ぶ、「通勤の足」でした。銅山で使う資材も運んだそうです。大正末期から馬車軌道に代わる交通機関として登場したそうです。 歴史館前のスケートリンク場跡地を整備し、レールを集め、一周174メートルの線路が設置されています。毎月、第一土曜、日曜には、このガソリンカーを走らせているそうです。