校長室だより

校長室だより

命を考える

 11月の初めに読書週間がありました。その中で、読み聞かせをする時間を設定していただき、小学生に何冊かの本を読みました。テーマは「命」です。その中で、「電池が切れるまで」という本から「命」という詩を紹介しました。「命」は、長い闘病生活の末に短い生涯を終えた11歳の女の子が、亡くなる四か月前に書いた詩です。その一部を紹介します。
「命はとても大切だ
 人間が生きていくための電池みたいだ
 でも電池はいつか切れる
 命もいつかはなくなる
 電池はすぐにとりかえられるけど
 命はそう簡単にはとりかえられない」
生きたいという気持ちがまっすぐに伝わる詩でした。長野県立こども病院の院内学級で学ぶ子どもたちの詩と絵は、私達の心にまっすぐに響いてきたように感じました。
 現在は、コロナ禍という思うように生活できないもどかしさを感じています。様々な場面で、今までの当たり前が失われています。学校生活も同様です。こんな時だからこそ、日常の生活を無事に過ごすことができていることが、本当にありがたいことであると、改めて確認することができました。
 学校では、予定していた行事も、中止や変更になったものもあります。でも、修学旅行などの校外学習の一部が再開されました。学校でも日常のありがたさをしみじみと感じています。

ゾーンに入る・フロー体験

 今年は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、伝統ある小来川ふるさと大運動会はできなくなりました。学校だけの運動会となりました。児童生徒は運動会に向けて、精一杯練習に励んできました。練習や本番で、スポーツ選手が使っている「ゾーンに入る」や「フロー体験」について経験しました。「ゾーンに入る」や「フロー体験」とは、自分のもっているエネルギーが1つの目標に向けて集中して、行動できている状態のことです。運動会は、それが経験できる機会です。
 まず、やればできる課題に取り組みます。運動会では、走る、踊る、投げるなどがその課題です。そして、「今やっている行動」に集中します。簡単そうに思えますが、日頃私達は、いろんなことを気にしながら過ごしています。授業中、学習しながら給食は何か考えたり、家に帰ってからやるゲームのことを考えたりします。今やっていること以外のあまりで目の前の学習や運動に集中するのです。しかし、運動会は目の前の種目以外に気を配りません。そんな圧倒的な集中状態なのです。どうすれば勝てるのか、そのために何をしなければならないのか。そのような明確な目標が運動会にはあるのです。
 もう1つよいことがあります。「ゾーンに入る」や「フロー体験」は、不快なこと、気になることを忘れることができるのです。今のコロナ禍の無意味なストレスを消し去った状態でもあるのです。失敗の不安に負けず、ただ自らの成功を信じて、自分の行動を高レベルでコントロールしている感覚です。それにより普段ならできないような行動をすることができるのです。今やっている行動と自分自身が一体化する感覚です。
 運動会当日は、児童生徒、保護者の皆様とともに、こんなことができたという楽しい思い出になる運動会、大変な1年だったけど運動会はよかったなと思える運動会、気持ちよい時間が過ごせたなと思える運動会になりました。来年度はまた、地域の方々と伝統ある小来川ふるさと大運動会を実施したいと切に願っています。

ライフキャリア・レインボー

 私達は、まわりの人達や社会とのかかわりの中で、仕事、家庭、地域社会の一員など、様々な役割を担いながら生きています。これらの役割は、人生という時間的な流れの中で変化しつつ積み重なり、つながっていくものであると言われています。
 今年度から、自分の成長の足跡を振り返りながら現在の自分自身を見つめ、自分の将来や働きたい仕事、生き方を考えることができるようにするキャリア・パスポートを作成していきます。キャリア教育にかかわる授業の振り返りカードなどを1つにまとめて保管して、時間の経過とともに自身の変容や成長を自己評価できるようにしていくものです。このパスポートは小中学校の9年間持ち上がり、さらには高等学校に送るようにするしくみとなっています。
 私達は子どもでも大人でも1つの役割だけをしているのではなく、いくつかの役割を年齢や立場によってあわせて演じています。それを米国の教育学者のドナルド・E・スーパーがアーチ状の虹のように表現したことから、ライフキャリア・レインボーと名前がついています。人生全般にわたり、社会や家庭で子ども、学生や職業人など、様々な役割の経験を積み重ねて初めて自身のキャリアがつくられると考えられています。
 子どもたちは、まだまだ虹の急な上り坂にいます。本校の特色である小中一貫や体験活動に取り組んで、子どもたちの社会的・職業的自立に向けた基盤となる力が育つこと、地元への理解・愛着・誇りを育む教育を推進していくこと、これらを進めることによって、光り輝く虹が見えてくると思っています。

持続可能な開発目標

 7月1日(水)児童・生徒会総会が開かれました。臨時休業により2か月遅れの開催となりました。生徒会代表のあいさつ、児童会・生徒会の活動方針、部活動紹介等がありました。地域教育協議会の委員の方々にも、児童・生徒会総会の様子を見ていただきました。
 児童・生徒会総会では、持続可能な開発目標(SDGs)について話しました。世界を変えるための17の目標「SDGs(エス・ディー・ジーズ)」。途上国も先進国も含めた世界中の一人ひとりに関わる取り組みです。「SDGsの達成に向けて、自分たちはどんなことができるのか。」となると、とてもとても大きな目標になってしまいますが、子どもたちの生活とこれらの課題が関連があり、学校や地域などの身近な課題解決の先に、SDGsの達成があると考えたからです。このような活動をとおして、子どもたちに社会の一員として主体的に参画しようとする力や、自分たちの生活をよりよくするために行動しようとする力を育てることにもつながると考えています。
 現在、新型コロナウイルスの影響から、学校生活も様々な制約を受けています。この状況の中で、社会や世界の現状を、自分との関わりから「自分のこと」としてとらえることが大切だと思っています。現状を踏まえて問題意識をもちまわりの人達と共有し、その解決に向けての手立てに取り組んでいくことが求められています。
 児童・生徒会総会にあたり、地球でずっと暮らしていけるように、知恵を寄せ合ってできた「持続可能な開発目標」を意識してほしい。一人ひとりにできることや小さい行動から考えていってほしい。自分たちにできることから始めてほしい。なぜなら、目標の期限の10年後の世界を動かしているのは子どもたちだからです。

「当たり前の生活様式」から「新しい生活様式」

 令和2年6月1日。新型コロナウィルス対応のための臨時休業が終わり、学校が再開しました。3か月前までは、毎日の学校生活はずっと続くものだと思っていました。日課どおりに進む時間。学校暦に予定された行事の実施。ずっとこのように日々を過ごしていました。「当たり前」の日常があったのです。社会状況の変化によって、「当たり前」ができなくなって、「当たり前」なことはどこにもないことに気づきました。「当たり前」の日常の時間が続くことが特別なことだったのかもしれません。
 学校が再開して、子どもたちが学校で生活することの意義を、改めて実感することができました。同時に、「当たり前」の学校生活も、臨時休業中の生活も、子どもたちにとって、等しくかけがえのない1日だったことも感じています。これからは、「当たり前」の毎日が価値あるものとして、教育活動を進めていきたいと考えています。
 これからしばらくは、新型コロナウイルス感染症と共に生きていく社会が前提となります。長丁場に備え、手洗いや咳エチケット、換気といった基本的な感染症対策に加え、感染拡大リスクが高い「3つの密」を徹底的に避けるために、身体的距離の確保といった「新しい生活様式」に、学校を含めた社会全体が移行することが求められています。学校においても、「マスクの着用」及び「手洗いなどの手指衛生」など基本的な感染対策を継続する「新しい生活様式」を導入し、感染及びその拡大のリスクを可能な限り低減しつつ、教育活動を継続し、子どもの健やかな学びを保障していくことを目指していきます。今後とも御協力よろしくお願いします。