校長室だより

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夏休みのチャレンジ

 「夏休みには何かにチャレンジしよう。」
これが、子どもたちに1学期の終業式で投げかけた言葉でした。こんなことを言ってしまったので、自分でも何かに取り組んでみようと夏休みの研修等に臨みました。
 主に取り組んだのは、算数・数学と図画工作・美術です。算数・数学では、関数や微分積分をやさしい本で学習しました。小中学生の時と違い、点数に直結しないせいか、ゆとりをもって取り組めました。できなくても仕方ないという感じで学習していると、何かに使うために算数・数学を学習するのかではなくて、算数・数学の考え方で物事をとらえるとわかりやすいかもしれないという思いに至りました。数式は解けなくても、数式の考え方は少しわかったのです。出会ってから数十年経って、初めて算数・数学を学習する意味がわかりました。
 図画工作・美術では、小来川小中学校の校舎内に飾られている絵画を見ているうちに、自分の好きな絵はどういう絵だろうと考え、いくつかの美術館に行きました。訪れた美術館の学芸員の方からは、絵の中で見つけたことや感じたことを率直に表現してよいことを知らされ、思うように絵画などを見て、感じたことを話し合いました。当然正解はなく、どんな意見も認めてくれました。そうした経験から、この絵は好きだなとか、この彫刻はおもしろいとかと素直に表現できるようになりました。
 絵の見方を学ぶと歴史も気になりました。出会った「齋藤孝のざっくり!美術史」によると、「美術のスタイルは『関数』です。美術のスタイルという概念に当てはめると、スタイルとはy=f(x)の『f』という変換作用だということになります。『f』という『要素』とは、xに何かを入れるとyはこうなるというルール、法則性があるということです。(一部要約)」画家のスタイルをそれぞれの絵ではなくて、関数すなわち変換の法則性でとらえるとすごくすっきりしました。関係ないと思っていた事柄がつながることにより、少しだけ世界が広がり見やすくなった気がしました。
 自分の中にはどんな関数があるのだろうと確認しているうちに、長かった夏休みは終わりました。夏休みは私にとって大きな収穫があった時間となりました。

七夕の願いごと

 七夕の由来は、織姫・彦星の物語から始まります。竹に短冊をつけて願いごとをするようになったのは、江戸時代の頃からだそうです。機織りの名手であった織姫にあやかり、機織りの技が上達するようにというところから、様々な手習いごとの上達を願うようになったことがルーツとされています。手習いごとや寺子屋で学ぶ子どもたちが増えていったことから、上達を願う習慣が広がったのでしょう。
 私は子どもの頃、里芋の葉にたまったつゆを集めて墨をすり、その墨で文字を書いて願ったこともありました。時期は、旧暦の七夕として月遅れの八月に飾っていました。たぶん、剣道がうまくなりたいとか、卓球の試合で勝ちたいなど願っていたような気がします。農作物の豊作を祈るため、ずっとつくらされていました。
 今年も学校では、児童会で飾りをつくり全校生、教職員で願いごとをしました。何かが上達したい、家族に長生きしてほしい、お金持ちになりたい、何歳になったときこうしたい。様々な願いごとが飾られました。
 1年の中で願いごとをする機会は、何度かありますが、自分がしていることの上達を祈るのは、この機会が1番ではないでしょうか。現在していることの上達、将来の希望、家族の幸せ。どれも素敵なお願いです。これから楽しみな夏休みを迎えます。願いごとが願いだけに終わらずに、自分の頑張りの糧になるよう祈っています。

意識が広がった修学旅行

 修学旅行の思い出をたどると、みんなでお寺や神社をまわったことが思い出されます。修学旅行の目的とは、今も昔も日本の文化や歴史に興味をもつことではないでしょうか。普段の旅行と違い、同級生と旅行して学習することも大きな目的の1つです。
 今年度の中学校修学旅行を引率するにあたって、単に見学するだけではなく、日本の文化・歴史に興味をもって何かを学んでこようと考えました。その1つが仏像の見方です。これまで、特徴的な仏像は心に残っていたものの、仏像の種類や見分け方は知りませんでした。調べてみると仏像は、如来、菩薩、明王、天などに分類されることがわかりました。大きく4種類しかないのです。如来は悟りを開いた仏で人々を苦しみから救うものです。菩薩は修行中の身で人々を救うもの、明王は大日如来の化身の姿で、煩悩に怒りを表すもの、天は仏教を守護するもので、古代インドの神々が仏教に吸収されたものです。見分けるという視点によって見方が変わり、「大きな仏像がある」から「如来である盧舎那仏(大仏)がある」とイメージが変わりました。その後、なぜ如来が建立されたのかと思いが広がりました。仏像から日本の文化・歴史に意識が広がった瞬間でした。
 子どもたちの学習においても、興味関心がある部分的な事柄から、その全体へと広がることがあります。子どもたちが行っている学習は、部分と全体とのつながりを知ることによって効果が高まっていきます。現在は情報化の時代と言われて、世界中の情報がどこにいても見ることができます。部分はどこにいても手に入ります。まず、部分を手に入れるには、子どもたちの興味関心のセンサーに反応するかです。修学旅行は本物とふれ、そのセンサーが大きく反応していました。この経験が大人になったとき、どのような思い出となって残っているのでしょうか。

初めての獅子舞

 4月29日。東小来川公民館で生まれて初めて獅子舞を見ることができました。青い空の下、3人の舞い手が笛などの音楽に合わせて舞う獅子舞は、まさしく荘厳な舞でした。獅子舞は、ここまで順調に受け継がれてきたわけではないことをうかがいました。一時中断していた時期もありましたが、伝承していくために、舞い手を育成して、次の時代に引き継ぐしくみを整えることにより、現在につながっていることがわかりました。
 私の住んでいる地域でも、獅子舞があったと聞いたことがあります。現在では、お祭りのときに「頭出し」という、獅子頭だけを取り出す行事が残っているだけになってしまいました。このようなものを継承し、後世に伝えていくためには、地域の方々の積極的な関わりがあったことを知ることができました。
 昔は年中行事と呼ばれた、伝承的な行事が多くありました。日常と違った行事を行うことによって、楽しめるような工夫や地域の連携を深めていったように感じています。現在は、昔に比べて生活のリズムがはやくなり、年中行事も変化しつつあると言われています。学校においても、このような行事は大切にしていきたいと考えています。