小来川小中学校(令和2年度)

カテゴリ:報告事項

新しい下校スタイル

 6月8日(月)から、小学生は下校のしかたが変更になりました。一斉下校の場合、スクールバスが定員一杯の乗車で下校となっていたので、方面によって2コースに分けての下校となりました。少し待つことにはなりますが、スクールバスに乗る人数は少なくすることができました。


テニスコート

 テニスコートに手動式の整地ローラーをいただきました。中学校のテニス部が廃部になり10年ほどが経ちました。除草などを行い、整地ローラーを使い整備し、ラインを引きました。コートは久しぶりによみがえりました。ジュニア用のテニスの用具もいただきましたので、今後活用したいと考えています。


新しい給食スタイル

 給食の流れを説明します。給食の準備の前には、石けんでの手洗いを徹底しています。手指のアルコール消毒をしてから準備をします。配膳台等の消毒を行います。配膳は先生と少人数の給食当番で行います。給食は自分の分だけを運ぶようにします。座席も工夫して座っています。食べる直前までマスクをしています。給食は前を向いて話をしないで食べます。食後の歯磨きでは、飛沫が飛ばないように気をつけています。

小来川をもっと知ってほしいR2②

 日光山を開いた勝道上人は、日光山の秀峰に関心が深かったそうです。幼い頃から勉強に励んで、20歳で出流山に祈願するためにこもりました。その後、日光山開山を決意して、小来川の星の宮(黒川神社)に祈願するためにこもりました。その時、東の山に光を見たので、鶏鳴山に登って修行しようと決心したそうです。この光とは何だったのでしょうか。
①太陽の光
②満月の光
③UFOの光
④ほたるの光
答えは、6月1日(月)にお知らせします。

小来川をもっと知ってほしいR2①答え

 答えは④4,000年前です。
 昭和20年代に、東小来川で 1m以上土地を掘って、土の表層と深層を入れ替えをした時、小石1つ出てこない畑から土器の破片が出てきました。宇都宮大学の考古学の先生に鑑定していただくと、縄目があることから、縄文時代中期のものであることがわかりました。その後、発掘を進めると、かなりの数の土器が出土して、たき火の跡とみられる炭も出てきました。「南原遺跡」として登録しました。その後、「小春遺跡」も発見され、黒曜石の矢尻も出てきています。東小来川以外にも、住居があったかもしれません。

小来川をもっと知ってほしいR2①

 小来川をもっと知ってもらうために、「物語郷土史 おころがわ」からトピックスを紹介します。「物語郷土史 おころがわ」は、小来川文化祭50周年の記念事業として、平成8年12月1日に発行されたものです。小来川の歴史がつまっています。

 小来川では、何年前ぐらいから人が住んでいたのでしょうか。
①100年前(西暦1920年頃)
②1,000年前(西暦1020年頃)
③2,000年前(西暦20年頃)
④4,000年前(紀元前2000年頃)
 社会科の教科書に載っている年表と年代を比べてみよう。答えは明日発表します。

53人の校長先生

 小来川小中学校の歴史を感じられるように、歴代校長先生のお名前と写真をそろえることができました。学校にお出での際は、職員室に声をかけていただき、ご覧になってください。くわしくは、校長室だよりをご覧ください。

小来川小中学校をもっと知ってほしいR2②

 5月12日(火)学区内巡回を実施して、滝ヶ原分校跡を訪れました。滝ヶ原分校は、小来川小学校創立と同時に分校として創立されました。児童数の減少と1年生から6年生のすべてで1学級になる心配が出てきたため、昭和38年4月に総合になりました。
 分校で学んでいた児童数は、1番多かった年度でどのくらいだったでしょう。
① 5人
②10人
③12人
④15人
 答えは明日お知らせします。