小来川学報

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児童生徒会の看板修繕

 小来川の地域内にある生徒会で作成した看板が傷んでいる状況にありました。そこで、児童生徒会と学校・PTAで協力して、修繕することを話し合いました。コロナ禍で暗いニュースが多いので、地域にも明るい話題を学校から発信したいと考えたからです。地域内に14か所、学校内に1か所が確認されていました。合計15枚の作成をしました。令和3年3月8日(月)すべての看板の修繕が完了しました。ご協力ありがとうございました。

①(西小来川)元気いっぱい 笑顔いっぱい

② (西小来川)小来川の自然は緑がたくさん

③ (滝ヶ原)あきらめないで進もう

④(滝ヶ原)小来川 笑顔の風が吹いている

⑤(滝ヶ原)「あなたとなかよし 自然となかよし」

 ⑥(滝ヶ原)「人のやさしさ 心のあたたかさ」

 

 ⑦(中小来川)「あいさつで心をつなぐ地域力」

⑧(宮小来川)「いつまでもつなごう この伝統」

⑨(東小来川)「ホタルも好む 清い川」

⑩(東小来川)「清流と自然豊かな小来川」

⑪(宮小来川)「 絶滅危惧種が住んでる 自然の森」

⑫(中小来川)川の中にも満天の星 清流の里 小来川

⑬(南小来川)小来川 自然がとてもきれいだな

⑭(南小来川)「みんなで守ろう 小来川の自然」

⑮(中小来川)飛び出し注意 命を大切に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小来川の由来

 14世紀の南北朝時代の後半、南朝の忠臣といわれた藤原藤房卿は、鹿沼市北方の山ふところまで落ち延びます。そして今の小来川の森崎まで来たとき、薬師堂の丘から眺めた景観を見て、感銘を受け、次のような和歌を詠まれました。
 湧き出でし 水上清き小来川 真砂も(  )の 光をぞ添う
 (  )には色を表す言葉が入ります。どれでしょうか。
①萌葱(もえぎ)
②琥珀(こはく)
③鶯(うぐいす)
④瑠璃(るり)

 答えは、④瑠璃(るり)です。瑠璃色は、紫みを帯びた濃い青色のことです。薬師堂の丘からの景観は、この里のおおらかさと独特の品位を感じさせるものがあって、それに感銘して和歌を詠まれたそうです。この「小来川」の文字が今日までよびならされてます。

ホタルのいる里

 気温が高くなったこの頃、小来川ではホタルが見られるようになりました。ホタルは流れが緩やかできれいな川や水田などの草むらに生息しています。餌になるカワニナがいることが条件です。小来川にはこの条件にあった場所があります。
 風がなくどんより曇った蒸し暑い夜、日が暮れてしばらくすると川や水田の草むらから、ホタルが光る様子が見られます。あっという間に多くのホタルが飛び交ってきます。ホタルが光るのは、おおむね1~2週間程度と言われています。短い成虫時代を精一杯輝いて生きているということです。きれいな川に住むカワニナという貝を食べて成長するため、自然環境のバロメーターにもなっています。いつまでもこの条件が続いていくように祈っています。

勝道上人

 日光山を開いた勝道上人は、日光山の秀峰に関心が深かったそうです。幼い頃から勉強に励んで、20歳で出流山に祈願するためにこもりました。その後、日光山開山を決意して、小来川の星の宮(黒川神社)に祈願するためにこもりました。その時、東の山に光を見たので、鶏鳴山に登って修行しようと決心したそうです。この光とは何だったのでしょうか。
①太陽の光
②満月の光
③UFOの光
④ほたるの光

 答えは、②満月の光です。
小来川では、晴れた夜、満月が東の山から昇ることがあります。この圧倒される光景を見て、勝道上人は決意されたのではないでしょうか。満月の夜、東の空を見てみましょう。

小来川にはいつから人が住んでいたの

 小来川をもっと知ってもらうために、「物語郷土史 おころがわ」からトピックスを紹介します。「物語郷土史 おころがわ」は、小来川文化祭50周年の記念事業として、平成8年12月1日に発行されたものです。小来川の歴史がつまっています。

 小来川では、何年前ぐらいから人が住んでいたのでしょうか。
①100年前(西暦1920年頃)
②1,000年前(西暦1020年頃)
③2,000年前(西暦20年頃)
④4,000年前(紀元前2000年頃)
 社会科の教科書に載っている年表と年代を比べてみましょう。

 答えは④4,000年前です。
 昭和20年代に、東小来川で 1m以上土地を掘って、土の表層と深層を入れ替えをした時、小石1つ出てこない畑から土器の破片が出てきました。宇都宮大学の考古学の先生に鑑定していただくと、縄目があることから、縄文時代中期のものであることがわかりました。その後、発掘を進めると、かなりの数の土器が出土して、たき火の跡とみられる炭も出てきました。「南原遺跡」として登録しました。その後、「小春遺跡」も発見され、黒曜石の矢尻も出てきています。東小来川以外にも、住居があったかもしれません。