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足尾中学校Events&News
卒業式予行~卒業式に向けて。
来週の木曜日3月11日)は卒業式を迎えます。
10名の卒業生は、私が彼らを見てきた2年間で、見違えるほどの成長を獲得してきました。
正に・・・自然と天から降ってきたものではなく、自らの手で“獲得”してきたものです。
今日は、予行を行いましたが、皆立派な表情をしていました。
自信と誇りを胸に“今”を生きている若者の顔は、本当に素晴らしいものです。
以前の記事に書きましたが、幸いにして、今年は全員進路が決まっています。
まずは、直近の未来には、不安よりも期待が大きいことでしょう。
前向きな魂は、卒業式にも自信を持って臨んでくれるはずです。
私からは、昨年度の卒業生に送った
「出る月を待つべし 散る桜を追うことなかれ」
をはずし、新たな作品(というほど立派なものではないですが)を掲げました。
今年は
「これまでの道を離れ 未踏の森に挑め 新しきを探れ」
としました。
10人の生徒達は、9つの高校に巣立っていきます。
新しきを探る・・・ために。
その表情を見るにつけ、若さとはかくも素晴らしきものであることを、改めてヒシヒシと感じさせてくれます。
教師として、これほど嬉しいことはありません。ありがたい限りです。
ここからは、保護者の皆様へのお願い(提案)です。
卒業式では、本校の諸条件(出席者人数等)を踏まえ、職員、生徒、共に原則「ノーマスク」で挙行させていただきます。(強制ではありません・・・もちろん最終選択権は各自に・・・!)
それに合わせて、ここでもいくつかの資料を提示させていただきます。
以前にも、同じ画像を使わせていただきましたが、改めて比較していただくために・・・。
「マスクがいかに飛沫をふせぐか?」を、下のような「スーパーコンピュータの映像」で多くの国民がすり込まれてきました。他にも、アクリル板衝立(ついたって)の役割などでも似たような映像が数多く報道されています。
ここで想像してみてください・・・お祭りで神輿(みこし)がくり出し、「かつぎ手」はもとより、周りに集まった大勢の人達までもが腹の底から大声で覇気を煽る光景を・・・周辺にはいったいどれほどの飛沫が拡散していることか。全員が一体となって盛り上げるこの“祭りの在り方”こそ、人々が他者とウイルスや細菌類を交換し合うことにより、ワクチンなど足もとにも及ばぬほど複雑で強い「免疫力」を獲得してきた偉大なる日本人の知恵です。
しかし今、私たち人類が何万年もかけて獲得してきたこの「自然の免疫力」を、「ソーシャルディスタンス」や「マスクの常着」などによって根こそぎ捨ててしまおうとしています。
一方、こちらの画像は、約8時間(外出時の一日を想定)着用していたマスクの表面の細菌類を“見える化”したものです。途中で、数分間ずつ8回の着脱をしたものですが、その度に、これが手や周囲の物(マスクを置いた所等)にも付着し続けることで、接触感染リスクを増加させていきます。
マスクが飛沫をカットする映像は、T.V等で何度も見せられてきましたが、カットされた飛沫の行方について「一般の人々が日常生活で使用する場面」の想定は検証もされなければ、もちろん報道もされていません。カットされた飛沫がどうなるのか、その行方など眼中にないかの如き研究(報道)は、実生活とはかけ離れた「実験室内仮説」に過ぎません。
何より、こんなものが直接口や鼻に接触していることがいかに危険か、言うまでもありません。本来なら、全て呼吸を通して空気中に排出されていたはずのものです。呼吸も重要な免疫機能のひとつだということをT.Vに頻出する専門家はどう考えているのでしょう?ぜひ伺ってみたいと思っています。
マスク着用は「症状がある人が、かなり混み合った状況下に限り、他者へ移さない効果が期待できる」以外は、害こそあれ利など殆どないどころか、多くのリスクを伴います。
こうしたことをしっかり検証して、ちゃんと考えれば屋外でマスクが不要なのは言うまでもありませんが、屋内であっても、無症状者(健康な人)しかいないのなら“こんなもの”で口や鼻を覆うことにはリスクしかありません。まして、卒業式では発言回数にも発言時間にもかなり制約があります。対人距離も殆どの場面で十分に取られています。
先日、ポカポカ陽気に誘われて広~い公園を散歩していたとき、自分以外の全ての大人がマスクをしていることに愕然とすると同時に、その中に、少なからず子どももいるのを見るに至っては、「ただただ悲しい気持ち」を越えて、胸が痛くなりました。こんなにきれいな空気の公園で、(上の写真のようなもので)口と鼻を塞がれ、おいしい空気も酸素も十分に吸えないなんて・・・何も言えない子ども達には、大人達の無知と同調圧力がもたらす深刻な被害では、と。
学校は学問を学ぶところですが、継続的な酸欠により、脳内の海馬細胞はかなり早い段階からダメージを受け始めます。死滅した脳細胞が蘇ることはありませんので、積み重なれば恒久的な学習障害等につながることもあります。また、小・中学生の間に急激に広がっている「鬱」に、不要なマスク着用が少なからず影響していることも解明されてきています・・・これからの世の中は「感情的な恐怖心」などではなく、「正しい情報」を正しく獲得し、科学的根拠をもとに理性的(理論的)に判断することが極めて重要だということを、多くの人達が早く気付いてほしいと願っています。「子ども達の未来」のためにも。
何度もで申し訳ありませんが・・・「おさらい」です!
●10代の子ども達は、新型コロナウイルスが感染する(細胞内にはいる)ために必要なレセプターである「ACE2」をほとんど持っていません。
●そのため、小中学生はほぼ感染できません。
→ 小中学生のPCR陽性者のほとんどは、ウイルス曝露(くっついている)だけなので、たとえ症状が出たとしても、喉粘膜表面等でT細胞免疫が臨時的に働くだけで起こる「数日間の発熱等」がある程度であり、その後は速やかに回復します。ですから、それ以上になった日本人の児童生徒は皆無のはずです。
●単なる曝露ではウイルスは体内で増殖できないので、その人が他者へ感染させられるほど多くのウイルス量(数十万個~)を排出することもできません。
→ 小中学生の陽性者が同居高齢者へ感染させた例はほとんど報告されていません。ただし、相手も曝露させる程度のウイルス量(数個~数千個)の排出は十分にあり得ます。今のPCR検査では数十万個はおろか、数個でも拾ってしまうので「陽性者=感染者」としてしまえば「子どもから高齢者へ感染させた」となってしまいますが、高齢者であっても、そんな「単なる曝露」では重症化はしません。
※ 感染に必要なウイルス量は数十万個~ですが、1m程度の距離での対面会話5分で曝露する(受ける)ウイルス量は、せいぜい3000個(厚労省HPより)
いかがでしょうか? こうした様々な諸条件をよくよく検討すれば、学校現場が、多くのリスクを無視してまでマスク着用を過剰に推奨することの危険性については、再考すべきだと思っています。
上のような姿が、本来の教育現場の形です・・・多くの過剰な対策によって、私たち大人が子ども達から奪っているものは、人間が人間であるために必要な極めて重要なものばかりです。
民主主義国家における「教育」の在り方は(それが本当に必要なものであるならやむを得ませんが、ここまで事実を見ていただけば)決して下のようなものではないと思っています。
参考までに・・・日本のコロナ死者数は、現在約8000人ですが、その内7割程は「高齢者施設」又は「長期入院施設」での「寝たきり」や「認知症」の方が占めていると思われます(慈恵医大長調査)。また、死亡者全体の平均年齢は約79歳であり、残りの3割の死亡者もほぼ基礎疾患絡みのため、厳密な死因はかなり曖昧な例が多い現状です。命の重みに差があるとは言いませんが、そのために、その引き替えとして今の対策は、やはり十分再考に値するとは考えられないでしょうか。
そして・・・これも「おさらい」で恐縮ですが、欧米各国では「マスク着用率が高い国ほど感染状況は深刻」であり、同国内で見ても「マスク着用率が高くなるに従って感染状況がどんどん悪化していった」というのが紛れもない事実です。どんな優れた研究仮説も、事実に勝る仮説などこの世には存在しません。
※ 1ページ目のマスクの写真を見れば当然の結果だと思います。
今回も、理屈っぽい内容で長くなってしまい申し訳ありませんでした。
温かい雰囲気の中で、素晴らしい卒業式を挙行できようにするために・・・を込めて、私の思いも書き込ませていただきました。
セレクト給食
すっかりサボってしまい、半月も放置してしまって申し訳ありませんでした。
今回は、まず「セレクト給食」についてです。
「選ぶ給食」・・・解りやすく言えば「(日本人では)バイキング形式。(世界共通なら)ブ゙ュッフェ形式」ですね。
ただし、そこは学校給食なので、事前に栄養計算をしながら、「主食」「副菜」「汁物」「デザート」などの中から、決められたいくつかを選んで「自分のメニュー」を作っておきました。これも大切な学び(食育)」です。
今日は、事前に作った「自分のメニュー」が書かれたメモを片手に、選んだものを取っていくやり方での実践です。
当然ですが、出来上がってみれば人によって違うメニューのトレーがならぶことになります。
そして、この「自分で選んだ」ということが、思いの外大切なことのひとつだと思っています。
ともかくも